しきたり

お彼岸におはぎを食べる由来!あずきの赤い色に深い理由があった!

先日、デパ地下に立ち寄ったら、「仙太郎」さんに長蛇の列が出来ていました。

「仙太郎」さんは、京都の人気の和菓子屋さんですので、列が出来ていることは珍しくはないのですが、なんと列が3重になっています。

なぜ?と思って気づいたのが、秋分の日で、おはぎを食べる日だったのです。

私も20分ぐらい並んで、きなこと粒あんのおはぎを買いました(笑)。

ですが、なぜお彼岸には、おはぎを食べるようになったのでしょうか。

また、秋のお彼岸では「おはぎ」で春のお彼岸では「ぼたもち」と呼び方を変わるのも不思議な話。

そこで本日は、お彼岸とおはぎの由来についてお伝えしていきます。

小豆(あずき)の赤い色に理由があった!

お彼岸おはぎ由来top
おはぎが、お彼岸のお菓子になった理由は、あんこの材料である小豆(あずき)の赤い色が持つ意味にあります。

「古事記」にも登場する小豆は、縄文時代の遺跡からも小豆の種子が発掘されるほど大昔から暮らしに根付いていました。

また古来、赤色には魔よけや厄除けの力があると信じられてきました。(神社の社殿や鳥居にも赤がよく使われていますよね。)

そのため、小豆は行事や儀式などの供え物に用いられてきた歴史があります。

そうした小豆ともち米を使った「おはぎ」は、江戸時代に誕生しました。

「おはぎ」の誕生は江戸時代

萩の花
おはぎ」という名前は、宮中に使えた女性たちが使っていた女房詞(にょうぼうことば)が語源とされています。(女房詞が登場したのも、江戸時代とされます)

もともとは「萩の餅」もしくは「萩の花」と呼ばれていたものが、“お”をつけて「おはぎ」となりました。

そして、もう一つ、欠かせない要素が砂糖の存在です。

今でこそ、砂糖は簡単に手に入る日用品ですが、江戸時代の初期までは国外から輸入する大変貴重なものでした。

それが、18世紀に入ると国内でも生産されるようになり、少しずつ庶民の口にも入るようになります。

とはいえ、砂糖はぜいたく品です。

お彼岸や四十九日と言った大事な日に、魔除けの力のある小豆と貴重な砂糖で作ったあんことお餅をあわせて先祖に供える風習が、江戸時代に広がりました

いうなれば、お彼岸のおはぎは、小豆の赤い色を特別と思う気持ちと、先祖への供養が結びついて生まれた風習。

ご先祖を思ってお供えしたおはぎを食べることが邪気払いとなり、家族が健康に過ごせるとされたのです。

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「おはぎ」と「ぼたもち」、違いは何?

牡丹の花
さて、ここまで「おはぎ」の由来を見てきましたが、同じ和菓子を「ぼたもち」とも呼びますね。

私は、子どもの頃、名前が違うのだから違うものだと思っていた時期がありました(笑)。

どこかの段階で、「おはぎ」と「ぼたもち」は同じものだと知ったわけですが、しばらくは、「おはぎ」と言ったり「ぼたもち」と言ったり、使い分けが分からなかったです。

それが、春は牡丹の花に見立てて「ぼたもち」で、秋は萩の花に見立てて「おはぎ」だと知ったのは、確か20代前半です。

今回調べてみると、「おはぎ」と「ぼたもち」は全く同じものを呼び分ける地域もあれば、微妙な違いをつけている地域もあるようです。

たとえば

  • 「ぼたもち」は硬くなった豆の皮を取り除いたこしあんで、「おはぎ」は収穫したばかりなので粒あん
  • 「ぼたもち」はお餅をあんこで包んだもので、「おはぎ」はあんこをお餅で包んできな粉をまぶす
  • 「ぼたもち」は牡丹の花に似せて大振りで丸い形で、「おはぎ」は萩の花に似せて細長く小ぶりな俵型

というような。

また、冒頭で触れた「仙太郎」さんのサイトでは、「ぼたもち」について次のような歳時記が寄せられていました。

もともと「ボタ」とは米の卑称。
出荷できない、売り物になりにくい欠けたお米のことを「ボタ米」と称し、それでつくった餅を「ぼた餅」と呼んだ様である。
(中略)
現今では、春も秋も「お萩」というのが一般的であるが、私共では年中「ぼた餅」と呼んでいる。1コ120gと大振りなのが牡丹という名に相応しいと思って・・・。

「仙太郎」さんのサイトから引用しました

確かに、「仙太郎」さんの「おはぎ」、違った、「ぼた餅」はズッシリとした重量感があります!

“そうかぁ、「おはぎ」ではなく、「ぼた餅」として売っておられたか”と、認識を新たにしました。

なお、「仙太郎」さんの「ぼた餅」は、通年販売されていますが、生菓子ですので地方発送はされていません。

京都にお立ち寄りの際は、高島屋でも大丸でも出店されていますので、ぜひお召し上がりになってみてください。

おはぎは彼岸のいつに食べるもの?

おはぎ
お彼岸近くともなると、和菓子屋さんには「おはぎ」と書かれた紙が張り出されていますね。

ですが、おはぎを食べる日は彼岸の中日決められているのです。

お彼岸は、春分の日・秋分の日が真ん中になるよう前後3日をあわせた7日間の期間。

つまり、春のお彼岸なら春分の日、秋のお彼岸なら秋分の日です。

お彼岸には、お墓参りに行かれる方も多いと思います。

彼岸の中日には、お墓や仏壇に、ご先祖様への感謝を込めておはぎをお供えし、その後に家族の健康を祈りながらいただく。

これが、おはぎをいただく正しいタイミングだったのです。

まとめ

お彼岸の和菓子である「おはぎ」は、お彼岸という先祖に感謝する期間に結びついているだけあって、大変意味のある食べ物でした。

おはぎのあんこを作る小豆の赤い色には、古くから魔除け・厄除けの力があると信じられていました。

それが江戸時代に先祖信仰と結びつき、お彼岸におはぎを食べる風習が広まりました。

貴重品だった砂糖が庶民の間にも少しつずつ広がっていったという産業上の背景もあります。

貴重なぜいたく品、砂糖を使って作ったおはぎを先祖にお供えした後に、家族や近所と食べることで、邪気を払って健康に過ごせると考えられていました。

お彼岸のおはぎ。

由来を知らずに食べていましたが、これからは、家族の健康を祈りながら食べるようにしようと思います!




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