どうしても食べ過ぎてしまう年末年始。
胃腸の疲れもさることながら、気になるのは体重だったりします(笑)。
そんなときに嬉しいのが胃にやさしく低カロリーの七草粥です。
ほんと、七草粥の日は、お正月明けにピッタリな風習だと感心しますね。
本日は、そんな七草粥を食べる日はいつなのか。
また七草粥を食べる意味と由来について詳しくお伝えしていきますね。
■目次
七草粥はいつ食べる?
七草粥を食べる日ですが、実は毎年1月7日と同じ日です。
一度覚えると次の年以降も同じ日ですので、便利ですね。
ちなみに
朝昼晩の三食ではいつ食べれば良いかですが、七草粥は、本来は朝に食べるものでした。
しかし、現在では必ず朝に食べる必要はないとされています。
ポイント
- 七草粥を食べる日は2021年1月7日(木)
- 七草粥を食べる時間はいつでも良い
続いて、どうして1月7日に七草粥が食べられるようになったのかを見ていきましょう。
七草粥を食べる3つの意味と由来
七草粥を食べる意味として、真っ先に思い浮かぶものが、「正月のご馳走で疲れた胃腸を休める」というものではないでしょうか。
「ご馳走疲れの胃を休める」というのは間違いではないのですが、七草粥が食べられるようになった本来の意味ではありません。
七草粥の3つの意味
- 邪気を祓い一年の健康を願う
- 七草のエネルギーを貰う(冬のビタミン不足解消)
- 五穀豊穣を願う
考えてみれば、胃腸が疲れるほどのご馳走を食べるようになったのは近代になってからのこと。
七草粥の風習は、遠く奈良時代にまで、さかのぼることができる古いものです。
そんな昔は、貴族といえども、ご馳走疲れとは無縁っぽいですよね。
さらに、七草粥の3つ意味にもそれぞれ由来があるとされています。
七草粥の由来
- 中国・唐の時代の七種菜羹(しちしゅさいのかん)
- 平安時代初期の若菜摘み
- 宮中で1月15日に食べられていた七種粥
これら3つの由来が融合し、平安時代中期には七草粥の風習ができたと考えられています。
それぞれ時代も背景も違っているので、なかなか複雑ですが、順番に見ていきましょう。
七種菜羹で無病息災を願う
6世紀ごろの中国南方地域には、正月(1月)7日を人の日として犯罪者の刑罰を行わないという風習がありました。
なぜ、そういう風習が生まれたのかは分かっていないのですが、7日に先立つ1日から6日は、鶏・羊・馬などの家畜が割り当てられて、それぞれの日にはその日の家畜を殺さないというものだったそうです。
これを元に1月7日に、七種菜羹(7種類の野菜を似た熱いスープ)を飲んで邪気を祓い無病息災を祈る風習が誕生。
この七種菜羹の風習が日本に伝わり、日本古来の若菜摘みや七種粥と融合して出来たのが七草粥の習慣です。
若菜摘みの風習と冬のビタミン不足解消
中国から七種菜羹の習慣が伝わる以前、日本では早春の野原で野草を摘む「若菜摘み」という野遊びが貴族の間で親しまれていました。
特に、正月最初の子の日は、若菜摘みを楽しむ日と決められており、「子の日の遊び」と呼ばれていました。
ここでいう正月は旧暦の事ですから、「子の日の遊び」があったのは、新暦に置き換えると1月終わりから2月終わりごろです。
ようやく春の訪れを感じられる頃ですよね。
早春に芽吹く野草を摘んできて食べることで、そのエネルギーを貰えると考えられていたのです。
一見、無病息災の迷信のように感じますが、新鮮な野菜が取れなかった冬の間のビタミン不足を補える理にかなったものでした。
五穀豊穣を願う七種粥
さて、七草粥のもととなったもう一つの由来が、平安時代に宮中で食べられていた七種粥です。
七種粥が食べられていたのは1月7日ではなく1月15日。
また、粥に入っていたものも、七草ではなく、7種類の穀類でした。
七種粥に入っていた穀類
- 米
- 粟(あわ)
- 黍(きび)
- 稗子(ひえ)
- みの
- 胡麻
- 小豆
その年の農耕が豊作となるかどうかが、非常に重要だった時代です。
季節の区切りには、穀類を神様に供えて豊作を祈る年中行事が行われており、七種粥が食べられていたようです。
五穀豊穣を祈るための七種の穀類から七種の若菜を入れたお粥と変化。
現在の七草に定まったのは室町時代のことではないかと言われています。
さらに、江戸時代になると、幕府が1月7日を人日の節句として公式行事に定め、将軍や家臣共に七草粥を食べるようになります。
これが庶民にも広まり、1月7日は七草粥の日として定着したのでした。
では、最後に七草粥に入る春の七草についても見ていきましょう。
春の七草は縁起づくし?!
七草粥に入る春の七草が現在の形になったのは室町時代のころと言われていますが、なぜこの七草が選ばれたのかははっきりしていません。
春の七草
- 芹(せり)
- 薺(なずな)
- 御形(ごぎょう)
- 繁縷(はこべら)
- 仏の座(ほとけのざ)
- 菘(すずな)
- 蘿蔔(すずしろ)
それぞれ次のような縁起のいい意味があると言われており、古くから民間では薬草と信じられていました。
芹(せり)
水辺に競り合うように生えることから、”せり”と名付けられました。
その名から、「競り勝つ」縁起の良い食べ物とされています。
独特の香りには、体温を上げて発汗を促すなど、風邪の回復に効果があるそうです。
また、βカロテンやビタミンB2、鉄分、カルシウムといった栄養も豊富で、血液中の老廃物やコレステロールを排出する効果があります。
薺(なずな)
薺(なずな)というと聞きなれないですが、ぺんぺん草と聞くと、”あぁ!”と思われる方も多いのではないでしょうか。
七草粥では、花芽をつける前の若い芽を使います。
薺(なずな)、すなわち「なでて汚れをはらう」ので縁起がいいと言われています。
古くから薬草として民間療法で使われており、血圧を下げる、解熱作用があると信じられてきました。
栄養面では、骨粗しょう症の改善に効果があるビタミンKを多く含んでいます。
御形(ごぎょう)
「仏体」をあらわしているという御形は、別名ハハコグサ(母子草)とも言います。
今では草餅はヨモギが使われますが、明治のころまではハハコグサが使われていました。
喉によいハーブとして知られており、喉の痛みをやわらげ、咳を止めるといった効果があります。
繁縷(はこべら)
ハコベとも呼ばれる繁縷(はこべら)は、「繁栄がはこびる」と理由づけされています。
確かに縁起がいいですね(笑)。
繁縷(はこべら)も薬草としての歴史がある野草で、気管支炎やリウマチ、関節炎などに効能があると信じられてきました。
ビタミンB群、ビタミンC、カルシウム、カリウムの他に、注目されているフラボノイドなども含んでいます。
仏の座(ほとけのざ)
秋の七草では「仏の座」と、そのまま縁起の良い名前で呼ばれていますが、植物名としては「小鬼田平子(こおにたびらこ)」というキク科の野草です。
胃を健康にする、腸の調子を整えるほか、筋肉痛や歯痛を抑える鎮痛効果があると言われています。
菘(すずな)
菘(すずな)と聞くと、これまた聞きなれない感じですが、野菜でおなじみの蕪(かぶ)です。
「神を呼ぶ鈴」と、何とも縁起の良いいわれがあります。
蕪(かぶ)は、一般的に根の部分を食べる根菜ですが、七草粥では葉の部分を使います。
葉に含まれる栄養には、食物繊維、カルシウム・鉄分、ビタミンA・B1・B2・Cが多く、胃腸を整え消化を促進する効果があります。
蘿蔔(すずしろ)
蘿蔔(すずしろ)とは、「汚れのない純白」から来た名前です。
蘿蔔(すずしろ)と聞いてもピンときませんが、なじみのある大根のことです。先ほどの菘(=蕪)とおなじく、七草粥では葉の部分が使われます。
食物繊維にビタミンA・Cのほか、消化酵素であるアミラーゼを含んでいますので、消化促進や便秘の解消、美肌効果が期待される野菜です。
まとめ
お正月は、どうしても食べ過ぎになりがちです。
そんなご馳走疲れの胃腸を休めるために七草粥を食べるという風習があります。
七草粥を食べる日は、毎年同じ1月7日。
もともとは朝食に食べるとものでしたが、現在では朝昼晩いずれに食べても良いとされています。
ちなみに
なお、七草粥はお正月のご馳走疲れの胃腸をいたわるためとよく聞きますが、おそらくそれは食生活が豊かになった近代以降の話です。
七草粥の風習は、平安時代の若菜摘みと七種粥、それに6世紀の中国南部の人日の節句が融合してできた古いものです。
本来の七草粥の意味は次の3つです。
七草粥の3つの意味
- 邪気を祓い一年の健康を願う
- 七草のエネルギーを貰う(冬のビタミン不足解消)
- 五穀豊穣を願う
現在の春の七草に定まったのも室町時代ではないかと言われています。
さてに、江戸幕府が公式行事としたことから庶民の間にも1月7日に七草粥を食べる習慣が広まりました。
七草、それぞれに縁起の良い意味もあり、消化を助ける効果のあるものも含まれています。
1月7日はちょうど仕事や学校が始まる時期。
胃腸に優しい七草粥で体をしっかり労わって、新年のスタートを切ると良いですね。