春と秋の年に2回あるお彼岸。
我が家でもお彼岸が近づくと、母とどの日にお墓参りに行くかを相談します。
それが当たり前すぎて、なぜお彼岸にはお墓参りに行くのか、考えたこともありませんでした。
調べてみると、思っていた以上にお彼岸というのは深い意味のある期間だと分かり、今までと違う気持ちでお彼岸を迎えれそうです。
本日は、お彼岸について詳しくお伝えしていきますね。
■目次
お彼岸とはどういうもの?
まずは、お彼岸についての基本的な疑問と答えからご覧ください。
- いつごろ、どこで始まった?
- 彼岸の意味は?
- なぜお彼岸は7日間ある?
- なぜ春と秋の年2回?
- なぜお彼岸にはお墓参りをする?
- なぜお彼岸といえばおはぎ?
お彼岸は仏教行事ですが、聖徳太子の時代に始まった日本独自の仏教行事です。
「彼岸」は、仏教の言葉で「あの世」を意味しており、お経から来ています。
仏様の境地に近づくための修行期間として7日間あります。
春分と秋分の日は、昼と夜の時間がほぼ同じで、太陽が真東から昇って真西に沈みます。
仏教では、西は「あの世」がある特別な方角のため、お彼岸が年2回あるのです。
昔の人にとって、真西に太陽が沈む彼岸は年2回の「あの世」と「この世」が近くなる大切な時期でした。
そこにご先祖様に感謝するという修行が結びついて、お彼岸にお墓参りに行く風習が生まれたのです。
おはぎに使う小豆は、あの赤い色に厄除けの力があると信じられていました。
ご先祖様に魔よけの願いを込めて供えたのが、おはぎの由来と言われています。
順番に詳しく説明していきますね。
ちょっと長くなりそうですが、最後までお付き合いください~。
お彼岸が始まった由来
お彼岸とは、本来、ご先祖さまや自然に感謝をささげるとともに、日ごろの自らの行いを省み、善行を積む心がけを新たにする仏教の修行期間です。
彼岸には、多くのお寺では「彼岸会(ひがんえ)」の法要が営まれます。
ご存知のとおり仏教は、古代インドで生まれて、中国を経て日本に伝わった教え。
てっきり、お彼岸もインドや中国から伝わってきたのかと思いきや、お彼岸は日本独自の仏教行事なのです。
一方で、お盆にも盂蘭盆会(うらぼんえ)や施餓鬼法要(せがきほうよう)などの仏教行事が行われますが、こちらは仏教の教えと一緒に伝わってきたもの。
彼岸が日本で始まった歴史は大変古く、聖徳太子の時代までさかのぼることが出来ます。
「日本後記」に、806年に行われた法要が、最も古い「彼岸会」の記録として残されています。
続いて、「彼岸」という言葉の意味を見ていきたいと思います。
彼岸という言葉の意味
「彼岸」は、“あちら側”ということですが、”あの世”を意味する仏教用語です。
しかも、単に死んだ後に行く世界というだけではなく、「彼岸」は、悟りと安らぎに満ちた素晴らしい世界とされています。
反対に、今、私たちが生きているこの世は、仏教用語で「此岸(しがん)」と呼びます。
「此の岸(このきし)」、つまり“こちら側”ということですが、仏教では“この世”は迷いを苦しみに満ちた世界と考えられています。
そして、この世を耐えて生きている人間は、安らぎと悟りに満ちた「あの世(彼岸)」にたどり着くために修行を積まなければならないというのが仏教の教えです。
そのためには6日間の修行が必要とされており、お彼岸が7日間ある大きな理由でもあります。
では続いて、お彼岸の期間について説明しますね。
「彼岸」は古代インド語が語源!
「彼岸にたどり着く」ことは仏教用語で「到彼岸」。
これは、般若心経の中の「波羅蜜多(パーラーミター)」を日本語に訳したものです。
般若心経を写経したり読経したりしたことがおありの方なら、よくご存知かと思いますが、般若心経は全く日本語にない言葉の連続ですよね。
もちろん知っている漢字も多いのですが、漢字から意味を理解するのは素人にはほぼ不可能です。
それもそのはずで、般若心経は、古代インドの言葉であるサンスクリット語が原文です。
しかも、その原文を漢字の音で表記したものなので、私たちが知っている漢字の意味と寒冷性もありません。
サンスクリット語では、「彼岸にたどり着く」ことは「パーラーミター」となります。
「パーラーミター」に漢字の音を当てて「波羅蜜多」。
逆から考えていくとよく分かりますね。
お彼岸の期間が7日間あるのは?
最初に、「彼岸」は修行の期間だとご紹介したのを覚えていらっしゃいますか。
彼岸の修業は、悟りと安らぎに満ちたあの世である「彼岸に到る」ことを目的にしています。
修行の内容も具体的に決められており、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という6つの修行を積みます。
六波羅蜜の6つの修行
- 布施(ふせ)
物やお金への執着をなくし、人のために良いことをすること - 持戒(じかい)
戒律を守り、他人に迷惑をかけずに人間らしく生活すること - 忍辱(にんにく)
苦しさや困難を耐え忍び、寛容でいること - 精進(しょうじん)
ささいなことにとらわれずに、常に最善を目指して努力すること - 禅定(ぜんじょう)
心を静かに持ち、動揺しない事 - 智慧(ちえ)
物事の真実を見抜く力を身に付けること
修行ときくと、滝に打たれるとか断食といった荒行と思いがちですが、「六波羅蜜」は、仏様に近づくための6つの心がけを意味しています。
この心がけを一日に一つずつ修めていきましょうというのがお彼岸の修行。
3日修行を行った次の日は、修行を休んでご先祖様に感謝をし、また翌日から残りの3つの修行を3日かけて行っていきます。
ご先祖に感謝する日は、「彼岸の中日(ちゅうにち)」といい、春のお彼岸では「春分の日」、秋のお彼岸では「秋分の日」にあたります。
お彼岸が7日間あるのは、修行の6日とご先祖への感謝の1日を費やすだめだったのです。
でも、なぜ六波羅蜜の修行とご先祖への感謝は年1回ではなく2回必要なのでしょうか?
(いえ、2回が多いと言いたいわけではありませんよ(笑))
次でその理由を説明していきますね。
春と秋の年に2回あるのはなぜ?
さて、お彼岸は、春と秋の年2回あります。
そして、ともに中日は春分の日・秋分の日の祝日です。
この春分の日と秋分の日に共通する自然現象が、年に2回お彼岸がある最大の理由。
極楽のある真西に太陽が沈む日
春分の日と秋分の日には、太陽がほぼ真東から上り、ほぼ真西に沈むため、昼夜の時間がほぼ同じになります。
ほぼ真西に太陽が沈むことが、仏教ではとても大きな意味をもちます。
なぜなら、仏教では、西のはるか彼方に阿弥陀如来(あみだにょらい)がおられる極楽浄土あると考えられているからなのです。
(あの西遊記でも、三蔵法師が目指していたのは、西の彼方にある西方浄土(さいほうじょうど)でしたね。)
さらに、昔の人は、太陽が真東から真西に動くということは、この世と極楽浄土(あの世)が最も近くなると考えたのです。
さらに、近くなるのだから、あの世の先祖への供養や、自らも極楽浄土に行きたいという願いも届きやすくなるはずと考えたのも無理はありません。
古くから、太陽や先祖は、人々にとって信仰の対象であり崇拝されてきました。
人間の本能ともいえる素朴な太陽信仰と先祖崇拝、それに仏教の極楽浄土を願う気持ちが結びついて発展したのがお彼岸の習慣です。
悟りに必要な「中道」という考え方
仏教では、お釈迦様のように“悟り”を開くことが大事にされていますが、そのために必要な考えが「中道」です。
「中道」とは、どちらにも偏らない物事の真ん中を意味します。
春分・秋分の日は、昼と夜の長さもほぼ同じになる日。
さらに、「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われるように、暑さと寒さの中間の日ともいえます。
二つの中間が重なる春分と秋分の時期は、まさに中道そのもの。
こうして、春分と秋分の時期が、先祖供養や六波羅蜜の修行をするのにふさわしいと考えられるようになったのも自然ですね。
中道思想誕生秘話
昔、お釈迦様が大変苦しい修行をされて、死の淵まで自らを追い込まれたのですが、それでも悟りが開きません。
そんなときに、通りかかった娘から牛乳を施されます。
その牛乳を飲んで瞑想に入られたところ、悟りに到達されたのです。
(「弓は張りすぎると弦が切れ、緩めすぎると矢が飛ばない」と娘が歌っているのを聞かれて悟りを開かれたともいわれています)
極端に苦しい修行でも、極端に贅沢な生活(お釈迦様は王子様でした)でも悟りには至らなかったものが、ほどほどの修行、ほどほどの食事が揃ってお釈迦様の悟りが開けたということから生まれたのが「中道」思想です。