12月に入ると、いっせいに町中のディスプレイやBGMがクリスマス一色になりますよね。
今では、プレゼントも貰う側から渡す側になってしまいましたが、小学校の初めの頃までは、靴下を用意して、サンタさんが来るのを待ったものです。
ところで、サンタクロースとクリスマスの関係って、ご存知ですか?
クリスマスといえばイエス・キリストの生誕祭です。どう見ても、サンタクロースとイエスさまの関係は不思議です。
調べてみたところ、サンタクロースは、イエスさまの誕生日とは全く関係がありませんでしたが、キリスト教とは関りがあることが分かりました。
とっても立派な人で、そのおかげでクリスマス・プレゼントなんていう素敵な習慣が生まれたことも分かりましたよ。
サンタクロースの正体は大昔の聖人
サンタクロースのモデルとなったのは、3~4世紀に実在したキリスト教の司教という説が有力です。
セント・ニコラウスは、オランダ語ではシンタクロースとなるのですが、それがアメリカの地で「サンタクロース」になったのだそう。(オランダとアメリカがなぜ登場するのかは後ほど詳しくお伝えしますね)
サンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスとは、どんな人だったのでしょうか。
聖ニコラウスはこんな人
聖ニコラウスは、西暦270年に今のトルコで裕福な家庭に生まれました。
信心深い両親のもとで、敬虔なキリスト教徒として成長し、やがてミラという地方でキリスト教の司教を務めるようになります。
両親から引き継いだ財産を貧しい人に分け与えたり、無実の人を冤罪から救ったりと人望も厚かったのですが、死後に聖人に列せられたのは、数々の奇跡を起こしたという言い伝えがあるからです。
- 信じる?信じない?聖ニコラウスの奇跡
- エルサレムへの巡礼に船で向かう途中、嵐を鎮め、船から落ちて死んだ水夫を蘇らせた
- 司教の会議で議論の相手を殴って破門になったが、イエスと聖母マリアがニコラウスの潔白を訴えて破門から復活した
- 謀反の濡れ衣で処刑されそうになった将軍をニコラウスが皇帝の夢で無実を訴えって救った
- 誘拐した子供を商品にする肉屋から、7年塩漬けにされていた7人の子どもを復活させて助けた
最後の奇跡は、子どもが生き返った以前に怖すぎですが(笑)、この言い伝えから聖ニコラウスはキリスト教において子どもの守護聖人と言われるようになりました。
この他にも聖ニコラウスにまつわる逸話はたくさんあるのですが、聖ニコラウスがサンタクロースのモデルとなった、とっておきの言い伝えを次でご紹介しましょう。
クリスマス・プレゼントを貰えるのは聖ニコラウスのおかげ?
多くの善行や奇跡を起こしたとされる聖ニコラウスが、サンタクロースのモデルになったとされる言い伝えは、面白いことに、クリスマス・プレゼントを貰うために靴下を吊るす由来にもなっているんですよ。
3人の娘を持つ商人が、商売に失敗し、財産を失ってしまいます。やがて、貧しさから娘たちが身売りせざるを得ないほど、生活に困るようになりました。
その話を聞いた聖ニコラウスが、娘を救おうと暖炉の煙突からお金を投げ入れたところ、お金は暖炉横にあったブーツの中に入りました。おかげで長女は身売りすることなく嫁ぐことができたのです。
さらに、次女のときにも、三女のときにも、聖ニコラウスは同じようにお金を投げ入れ、2人とも無事に嫁ぐことができます。
父親である商人は、三女のときには、どうしても善意の主が誰かを知りたいと見張っていたところ、聖ニコラウスだったので、足元にひれ伏して感謝したと言います。
この言い伝えから、聖ニコラウスが亡くなった12月6日(聖ニコラウスの祝日)の前夜に、子どもたちにプレゼントを配る風習が生まれ、現在のクリスマスにプレゼントを贈るという習慣へと変化していきます。
そして、クリスマスにプレゼントを貰うために靴下を吊るすのも、聖ニコラウスが投げ入れたお金がブーツの中に入ったからだったのですね。
続いては、聖ニコラウスさんが、赤い帽子・服、白いひげという今の姿に変わった経緯について見ていきましょう。
聖ニコラウスが今のサンタクロースの姿になるまで!
2~3世紀の人だった聖ニコラウスさん。次の画像は、聖ニコラウスさんではありませんが、キリスト教の聖人の一人とされるイコンですが、当然ながら、今のサンタさんのような服装はしていませんよね。
ましてや、トルコは温暖な地域で、雪国でもありませんしトナカイもいません!また、先ほども触れましたが、当初はプレゼントを贈る日も、元々は聖ニコラウスの祝日である12月6日の前の晩でした。
それが、どういう経緯で変わっていったのか、詳しく見ていきましょう。
初めのころは聖ニコラウスの祝日前夜にプレゼントを貰っていた
聖ニコラウスが亡くなった12月6日は、現在もオランダなどで聖人ニコラウスの祝日として祝われています。
聖ニコラウスが3人の娘を救った伝説から、祝日の前日、12月5日の夜に子どもたちにプレゼントをする習慣が生まれたのですが、当初は司祭の服装のニコラウス役と赤い服装の悪魔役が2人一組で家々を回っていました。
2人とも大きな袋を担いでいますが、ニコラウス役の袋はプレゼント入りで悪魔役の袋は空っぽ。
そして、子どもたちが良い子かどうかを聞くわけですね。でもって、よい子はニコラウスからプレゼントが貰えるのですが、悪い子は悪魔の袋にいれて地獄に連れて行くと脅すのです。
なんか日本のナマハゲみたいですが、恐怖で反省した子どもが、これからはよい子になると約束すると悪魔から解放されて、ニコラウスからもプレゼントを貰えるという筋書きです。
今でもよい子にしていないとサンタさんが来ないよと言うのは、この名残りだったのですね。
またオランダでは現在でも、12月25日のクリスマスではなく、12月5日(聖ニコラウスの祝日前夜)に子どもたちにプレゼントを渡すそうです。
宗教改革でサンタクロースの衣装が赤色に変わった?!
ここで少し世界史の話になります。
16世紀にドイツで宗教改革が起こり、バチカンを中心とするカトリックとは異なるプロテスタントという宗派が誕生します。
キリスト教信者ではない私があえて大胆に一言であらわすと、プロテスタントとカトリックの違いは偶像崇拝があるかないか。
- カトリックの教会には、聖母マリア像や十字架にかかったイエスの像などがあります
- プロテスタントの教会には、像の類はありません
偶像を良しとしないプロテスタントにとっては、聖ニコラウスを始めとした聖人たちも否定すべき存在でした。
ですが、すでに聖ニコラウスの祝日に子どもがプレゼントを貰う習慣はすっかり根付いてしまっています。でも、信仰と相いれない聖ニコラウスは困る。
そこで、宗教改革までは、聖ニコラウス役と悪魔役の2人だったものが、悪魔役だけが家々を回ることに変えられたのです。
でも、悪魔役だけというのも具合が悪かったのでしょう。聖ニコラウス役が、司祭の服装ではなく、赤い服装をしてプレゼントを配っていると都合よく解釈されるようになったのです(笑)。
移民国家アメリカで誕生したサンタクロース
さて、もう少し歴史の話が続きます。
プロテスタントの登場と宗教改革で拍車がかかったのがヨーロッパ各国から北米大陸への移民です。移民たちは、当然、自国の習慣とともにアメリカに渡っていきます。
17世紀、オランダからの移民は、マンハッタン島にニューアムステルダムを建設し、その地でも、本国にいたころのように12月6日には、聖ニコラウスの祝日を祝っていました。
その後、イギリスの植民地となったニューアムステルダムはニューヨークと名を変えます。
イギリスにはイギリスで、太陽の復活を喜ぶ冬至の日に訪れるというファーザークリスマスという妖精が存在していたのです。
イエス・キリストの誕生日も本来は12月25日ではなく、冬至を祝う習慣と融合したといいますが、同じように、ファーザークリスマスと聖ニコラウスの祝日の習慣も融合します。
結果、聖ニコラウスのプレゼントの日が12月5日から12月25日に変わったのです。
名前も、聖ニコラウスを意味するオランダ語「シンタクラース」から、「サンタクロース」と英語の発音に変わります。
さらに面白いことに、サンタクロースの白いひげの陽気なおじいさんというイメージが本国イギリスに逆輸入されて、ファーザークリスマスのイメージが変わってしまったそうですよ。
トナカイの登場でいよいよ北欧イメージの完成
現在では、サンタクロースは北欧のラップランドに住んでいるということになっていますが、今まで見てきた中で北欧の”ほ”の字もありませんでしたよね(笑)。
それもそのはず、サンタクロース、トナカイの引くソリ、雪国から来るというイメージは、アメリカの文学者ムーアが1822年に発表した「聖ニクラウスの訪問」という詩から広まったものなのです。
それはクリスマスの前の晩
・・中略・・
靴下はチャンと暖炉に掛けられて
セント・ニコラスが来ることを祈っている
子供たちはベッドで寝息を立てて巣の中
・・中略・・
そしてトナカイたちは家の屋根まで飛ぶ
おもちゃ満載のソリとセント・ニコラスを乗せて
・・中略・・
煙突から降りてきてセント・ニコラスがご到着
・・中略・・
瞳は--なんてキラキラ!なんてかわいいえくぼ!
頬はバラのように赤く鼻はサクランボのよう!
おどけた小さな口は弓のように跳ね上がり
顎のひげは 雪のようにまっ白
・・中略・・
うなずくと 煙突を昇っていった
ソリに飛び乗り トナカイたちに笛を吹き
アザミの綿帽子みたいに飛んでいった
でも見えなくなる前に叫び声が聞こえた
「みんなにハッピー・クリスマス、みんなおやすみ」
トナカイの引くソリ・煙突・靴下・陽気なサンタさん。すべて、私たちが思い浮かべるクリスマスそのものじゃないですか。
ムーアは、この詩を作るにあたり、フィンランドの言い伝えを取り入れたのですが、その影響は絶大だったと言わざるを得ませんね。
ですが、日本ではお馴染みのクリスマスのサンタクロースも、イタリアやスペインなどのカトリック教徒が多く、アメリカの薄い国では、見かけることはありません。
さらには、これらの国ではプレゼントをもらう日もクリスマスではなく、イエスの誕生を羊飼いが崇めにきたとされるキリスト公現祭の1月6日だそうです。所変われば何とやらですね。
1931年から1964年まで、コカ・コーラ社がクリスマスシーズンにはサンタクロースを使ったキャンペーンを行っていました。
赤い服に白いひげの陽気なおじいさんというイメージが、世界共通のものとなったのは、まさにコカ・コーラ社のキャンペーンから。
それまでは、地域や国によっては、サンタクロースの服は緑だったり茶色だったりしたのですが、すっかり赤に塗り替えられたのでした。
まとめ
サンタクロースのモデルは、2~3世紀に実在した聖ニコラウスと呼ばれるキリスト教の司教といわれています。
資産家でもあった聖ニコラウスは、財産を分け与えて貧しい人たちを助け、無実の人たちを救う立派な人でした。
商売に失敗し暮らしに困った商人が3人の娘を売ると知った聖ニコラウスが、お金を投げ入れて娘たちを救ったという言い伝えから始まったのが、クリスマスにプレゼントをするという習慣です。
また、その時に投げ入れたお金が暖炉の横にあったブーツの中に入ったことが、プレゼントを入れてもらう靴下を用意する由来にもなりました。
当初は、聖ニコラウスが亡くなった12月6日(聖ニコラウスの祝日)の前の晩に子どもたちにプレゼントを渡すという習慣でした。
宗教改革やアメリカ開拓の歴史の中で、ヨーロッパ各国の習慣が融合し、現在のように12月25日に赤い服を着た白ひげのサンタクロースがプレゼントを配ると変化していきます。
ですが、日本では当たり前のクリスマスとサンタクロースの風景も、アメリカの影響の薄いイタリアやスペインなどでは見ることはありません。
それにしても聖ニコラウスさん、”ほんまかいな”というような奇跡の逸話も多かったですが、立派な人だったのですね。
サンタさんのモデルになったのも、うなづける話でした。