うんちく話

七福神の由来とは?名前やご利益も一覧でご紹介!

とにかく目出度いイメージのある七福神。七人揃った宝船の絵を見ると、何だかカラフルでユニークな神様たちです。

”エビス様”や”ダイコク様”は、確か七福神というのは分かっていても全員の名前ははっきり分かりませんし、正直、エビス様とダイコク様の区別も曖昧かも。。。

ましてや、七福神それぞれのご利益となると、さらによく分からなくなります。

そこで本日は、福の神”として人気の高い七福神について調べることにしました。

思いがけず国際色豊かな由来がある神々で驚きました!名前とご利益も一覧に整理しましたので、この機会に一緒に覚えていきましょう!

まずは七福神の紹介から

七福神とは由来top
詳しい由来を見ていく前に、まずは七福神の名前を確認しておきましょう。

    七福神の名前一覧

  • 恵比須(えびす)
  • 大黒天(だいこくてん)
  • 毘沙門天(びしゃもんてん)
  • 弁才天(べんざいてん)
  • 福禄寿(ふくろくじゅ)
  • 寿老人(じゅろうじん)
  • 布袋尊(ほていそん)

皆さんは7つとも全てご存知でしたか?

私は、福禄寿と寿老人は初めて正確に名前を知りましたし、毘沙門天という名前は知っていましたが七福神なのだと初めて知ったというレベルです(笑)。

では、名前も分かったところで、七福神とはどういう由来を持つ神々なのかを見ていきましょう!

七福神の由来と信仰が始まるまで

七福神について、最も簡単に説明すると、次の一文になります。

七福神とは福をもたらすご利益があるとして、民間で信仰されてきた七柱の神様です。
神様を数えるときは「人(にん)」ではなく「柱(はしら)」を使います

では、七福神の由来と信仰が始まった歴史を詳しく見ていきましょう。

七福神の国際色豊かな由来にビックリ!

七福神信仰は、室町時代の末期に近畿地方から始まりましたが、神様のご出身は1柱だけが日本であとは海外という国際色豊かなものでした。

当然、背景となる宗教も神道から、仏教・ヒンズー教・道教と、「七福神」とセットにされているのが不思議なぐらいバラバラ。

ご出身七福神(宗教)
日本恵比須(神道)
インド大黒天(ヒンズー教)、毘沙門天(仏教)、弁財天(インド神話)
*インドから来た神様は名前に”天”が付きます
中国福禄寿・寿老人(道教)、布袋尊(禅宗)

どおりで、七福神が勢ぞろいすると異国情緒を感じるわけですよね。

七福神信仰が始まるまで

ただ最初から、現在の顔ぶれで7柱が揃ったわけではありません。ここで七福神が揃うまでを追ってみましょう。

  • 平安時代(794~1185)に恵比須・大黒天・毘沙門天の三神信仰始まる
  • まず日本固有の神、恵比須様が庶民の間で豊漁・豊作の神様として信仰されていました。

    インド・ヒンズー教の神である大黒天は、比叡山を開いた最澄が台所の神としてお祀りし、それが人々の間に広まり信仰されるようになりました。

    同じくインドで生まれた毘沙門天を本尊とする鞍馬寺が770年に創建され、毘沙門天信仰が盛んになっていました。

    このように、それぞれ別々で信仰が始まった恵比須・大黒天・毘沙門天が、平安時代中期に入ると三神として一緒に信仰されるようになり、七福神の基礎が出来上がりました。

  • 鎌倉時代(1185~1333)に弁才天信仰が盛り上がる、布袋尊も中国から伝わる
  • 弁才天が日本に伝わったのは奈良時代ですが、平安時代の終わりから鎌倉時代の初めにかけて盛んに信仰されるようになります。

    その人気は高く、毘沙門天の代わりに三神に数えられることもあるほどでした。

    中国の実在の禅僧だった布袋尊は、鎌倉時代に禅画の題材として広く知られるようになったのですが、あの福々しい顔だちから”福の神”として庶民の信仰を集めるようになります。

  • 室町時代に中国から福禄寿・寿老人が中国から伝わる
  • 道教の神、福禄寿寿老人が日本に伝わったのは室町時代です。
  • 室町時代末期、近畿地方から七福神信仰が始まる
  • 室町時代の末期に花開いたのは銀閣寺に代表される東山文化。わび・さびの精神が尊ばれた東山文化では、水墨画が多く描かれます。

    水墨画の画材として人気だった「竹林七賢図(竹林の七賢人)」になぞらえて、近畿地方で誕生したのが七福神信仰です。

  • 江戸時代に現在の七福神の顔ぶれにほぼ固定される
  • 室町時代末期に始まった七福神信仰ですが、江戸時代にようやく今の顔ぶれに収まります。

    とはいえ、まだ色々なパターンがあったようで、吉祥天・お多福・福助・稲荷神・猩猩・虚空蔵菩薩といった神様も七福神に入ることも多かったようです。

七福神

七福神信仰が、庶民の間で人気が高かった様子がよく分かりますね。

では、続いては人気の素でもあった七福神のご利益について一緒に見ていきましょう!

七福神のご利益!

七福神すべてを参拝する”七福神巡り”には、七つの災難から逃れて七つの幸福を授かる「七難即滅、七福即生」のご利益があると言われますね。

七福神のそれぞれの神様には次のようなご利益があるとされています。

七福神ご利益
恵比須商売繁盛大漁・五穀豊穣、除災招福、旅行安全
大黒天五穀豊穣商売繁盛、出世開運
毘沙門天大願成就、武道成就、家内安全、開運厄除
弁才天財福授与、縁結び・恋愛成就、学問成就、諸芸上達
福禄寿長寿長命、招徳人望、立身出世、子孫繁栄
寿老人無病息災病気平癒、家庭円満、福徳智慧
布袋尊千客万来、商売繁盛、夫婦円満、子宝

さらに詳しく、それぞれの神様についてお伝えしていきますね。

恵比須(えびす)

狩衣姿に烏帽子をかぶり、左手に鯛右手に釣竿を持っているのが恵比須様。エビスビールのパッケージでおなじみのお姿ですね。

恵比寿

恵比寿様は、古くから漁業の神様として信仰されていましたが、時代を経るうちに「五穀豊穣」「商売繁盛」の神様として信仰を集めるようになりました。

恵比須様の「釣りして網せず」という姿勢は、暴利を欲しない商人のあるべき姿に通じると解釈されたことも商売繁盛の神様として人気を集めた理由です。

また漁業の安全を守る守護神であったことから、旅の安全恵比須様のご利益に数えられています。

七福神の中で唯一の日本固有の神

恵比須様は七福神の中で唯一の日本固有の神様でいらっしゃいます。

ですが、不思議なことに古事記日本書紀には”恵比須”という名の神様は登場しません

そこで後の世に言われるようになったのが、恵比須様

  • イザナミ・イザナギの間に生まれた「蛭子(ひるこ)」
  • 大国主命の息子「事代主(ことしろぬし)」

であるという2説です。

ちょっと長くなりますが、どういう話かを見ていきましょう。

イザナミ・イザナギの間に生まれた「蛭子(ひるこ)」説

蛭子」は、イザナミ・イザナギの第3子でしたが、満3歳になっても歩かないため、船に乗せて流されます。(けっこうヒドイ話です(笑))

「蛭子」を乗せた船がたどり着いたという伝説は各地に残されているのですが、漂着した浜で、「蛭子」は手厚く祀られるようになります。

その中の一つが西宮の鳴尾浜で、恵比須様を祀った最古の神社、西宮神社が創建されました。

大国主命の息子「事代主(ことしろぬし)」

恵比須様は「事代主」であるとしてお祀りしている代表の神社は、今宮戎神社です。

国譲り神話で、大国主命が国譲りを受けるかどうかを尋ねる使者を息子である事代主に送ります。

その使者が到着したとき、事代主が釣りをしていたということから、事代主が海の神である恵比須であると、江戸時代に言われるようになりました。

同時に、大黒天と大国主命を同一視するようになったため、大黒天と恵比須が親子と言われるようになったのです。

大黒天(だいこくてん)

米俵に乗って、頭巾姿に大きな福袋を背負い、打ち出の小槌をもっているのが大黒天こと大黒様です。

大黒天

ヒンズー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ神が、密教に取り入れられ、密教とともに日本に伝わってきました。

やがて、大国主命と大黒天は同じ神であるとして習合され、各地の神社でお祀りされるようになりました。

ですが、日本に伝わった当初は、大黒天台所の神として食物・財福の神様として信仰されました。

手に持っている打ち出の小槌の”つち”は”土”であり、米やあらゆる農作物と生み出す”大地”を意味しているとして、農業の神様として信仰されるようになったのです。

当時、農産物は商業においても重要な商品であったため、転じて商売繁盛のご利益をもたらす神様となりました。

毘沙門天(びしゃもんてん)

甲冑(かっちゅう)をまとい、右手に矛(または宝棒)・左手に宝塔を持った毘沙門天は、七福神の中でただ一人の武神です。

毘沙門天

もとはインド神話の財宝の神クベーラだったのですが、中国に伝わると武神として信仰されるようになります。

そして、武神としての性格をそのまま残して、仏教で北方と仏法を守る四天王「多聞天」に数えられるようになりました。

日本では、鞍馬寺が毘沙門天信仰の発祥ですが、悪霊を退散し財宝を授ける神として信仰を集めます。

なお、毘沙門天を信仰すると十種の福を得ると言われていますので、ご紹介しておきますね。

    毘沙門天の十種の福

  1. 尽きることのない福
  2. 人々から愛される福
  3. 智慧の福
  4. 長命の福
  5. 多くの仲間を得る福
  6. 戦いに勝つ福
  7. 豊作の福
  8. 生糸づくりの福
  9. 善い教えの福
  10. 真の愛の福

弁才天(べんざいてん)

鳥居をつけた宝冠をかぶり、唐服姿琵琶を弾く優美な姿の女神が弁才天です。

弁才天

インドのサラスバティー川の神で水の神でしたが、仏教に取り入れられ音楽・知恵・弁舌・財・富を司る女神となりました。

奈良時代に日本に伝わり日本の神・宇賀神と習合すると、福徳・財福の神としての性格が強調されるようになりました。現在、弁財天と書くことが多いのはそのためです。

また水の女神であることから、海の女神「市杵嶋姫命」とも習合したため、島や港湾の入り口などで多くお祀りされています。

芸術や知恵、縁結び・恋愛成就と、財運・金運以外のご利益も多い女神です。

福禄寿(ふくろくじゅ)

禿げた長大な頭に長い顎ひげ大きな耳たぶを持ち、鶴と亀を連れているのが、中国道教の長寿の神である福禄寿です。

福禄寿

中国の聖人・老子が天に昇って南極老人星となったとされますが、福禄寿はさらに南極老人星の化身とされます。

福禄寿という名前が表しているのは、道教で追い求められる次の3つの願いです。

  • 血を分けた実の子に恵まれる幸福
  • 身分を得て財産を築く封禄
  • 健康に長生きする長寿

福禄寿のご利益は、まさに名前が表す3つの福そのものです。

寿老人(じゅろうじん)

長寿のシンボルである鹿を従え、不老長寿の印の桃と、災難をはらう団扇をもつのが、道教の神である寿老人です。

寿老人

福禄寿と同じく南極老人星の化身であるため、福禄寿と同一人物とも言われていますが、現在の七福神では違う神様として扱っています。

団扇で人々の災難を払うことから、病気平癒・無病息災のご利益があるとされています。

また、福禄寿と同じく長寿を授ける神様です。

布袋尊(ほていそん)

太鼓腹に大きな袋を背負っているのが布袋尊

布袋尊

の時代に実在した禅僧で、釈契此(しゃくかいし)というのが本来の名前ですが、常に大きな袋を背負っていたことから布袋と呼ばれるようになったのだそうです。

天気や人の吉凶を予見したことから、弥勒菩薩の生まれ変わりと崇拝されるようになりました。

布袋尊の背負っている大きな袋は「堪忍袋」だと言われます。

泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせ」という布袋尊の教えと福々しいお顔が、”福の神”として信仰を集めました。

布袋尊が寛大で度量のある心の持ち主であったことから、千客万来・笑角来福、夫婦円満・子宝で家運隆盛がもたらされると信じられています

まとめ

七福神とは、最も簡単に説明すると、福をもたらすご利益があるとして、民間で信仰されてきた七柱の神様です。
神様を数えるときは「人(にん)」ではなく「柱(はしら)」を使います

七福神の名前とご利益一覧にまとめると次のようになります。

名前ご利益
恵比須(えびす)商売繁盛、大漁・五穀豊穣、除災招福、漁業・航海安全
大黒天(だいこくてん)五穀豊穣、商売繁盛、出世開運
毘沙門天(びしゃもんてん)大願成就、武道成就、家内安全、開運厄除
弁才天(べんざいてん)財福授与、縁結び・恋愛成就、学問成就、諸芸上達
福禄寿(ふくろくじゅ)長寿長命、招徳人望、立身出世、子孫繁栄
寿老人(じゅろうじん)無病息災、病気平癒、家庭円満、福徳智慧
布袋尊(ほていそん)千客万来、商売繁盛、夫婦円満、子宝

七福神の由来を見ていくと、恵比須様だけが日本固有の神様で、他はインドや中国の神様という大変国際色豊か。

さらに神様の背景となる宗教もヒンズー教、仏教、道教と、七福神として一組になっているのが不思議なほどバラバラです。

そんな不思議な七福神信仰は、室町時代の末期に近畿地方で始まりました。

基となったのは、平安時代に始まった大黒天・恵比寿・毘沙門天の三神信仰です。室町時代の末期に、当時人気の高かった水墨画の画題「竹林七賢人図」を模して七福神信仰が始まったと言われています。

七福神すべてを参拝する”七福神巡り”には、七つの災難から逃れて七つの幸福を授かる「七難即滅、七福即生」のご利益があるとして全国に広まったのでした。




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