5月の空を元気に泳ぐ鯉のぼり。
すでに幼稚園のときに、歌も習ったり工作で作ったりすることが多いですよね。
そんな小さい時から親しんでいるせいか、どうして端午の節句に鯉のぼりを飾るのか知らないという方が多いのではないでしょうか。
そこで、本日は鯉のぼりを端午の節句に飾るようになった意味や由来について、詳しくお伝えしてきます!
端午の節句に関する話の中では、鯉のぼりが個人的には一番面白かったです!
鯉のぼりに込められた意味!
さて、鯉のぼりと一口に言いますが、飾られているものを見ると
のセットが一般的です。
実は、主役の鯉のぼりと吹き流しには、それぞれ違う意味があるのです。
順番に見ていきましょう!
鯉のぼりには親の願いがいっぱい!
まずは、主役の鯉のぼりから。
そもそも端午の節句という行事が、男の子の健やかな成長を願うもの。
鯉のぼりは、その端午の節句で飾られるものですから、当然、我が子の健康を願う意味があります。
ですが、鯉のぼりにはさらに2つの意味があるのです。
- 将来の立身出世を願う
竜門と呼ばれる滝を登りきった鯉が、龍となって天に昇ったという中国の龍門伝説から、鯉は出世の象徴でした。
- 潔く勇ましい子に育ってほしい
水揚げされた鯉がまな板の上でジタバタしないことから、鯉は潔い魚であるとされました。これを「鯉の水離れ」と言うのだそう。
鯉のぼりは江戸時代に始まった風習のためか、少し時代がかった印象ですね。
特に”潔く勇ましい”というのは、ちょっと今の時代にそぐわない気がします(笑)。
ですが、立身出世に関しては、社会的に成功して経済的に困らないと言い換えることができます。
親の思いというものは時代が変わっても変わらないなぁと思わされますよね。。。
吹き流しは厄災を祓うためだった!
幼稚園で鯉のぼり飾りを作った思い出はあっても、吹き流しまで作ったという方は少ないのではないでしょうか。(私も吹き流しは作った覚えはありません(笑))
現在は、すっかり脇役になってしまった吹き流しですが、実は鯉のぼりよりも重要なものなのです!
なぜならば、吹き流しには、神様をお迎えするための穢れ払いをしている家の目印という役割があるから。
つまり、吹き流しこそが、子どもを災難から守ってくれる神様をお呼びする目印なのです。
言われてみれば、鯉のぼりより吹き流しのほうが上に飾りますよね。
また、吹き流しが5色ということもとても重要な意味があるのです。
中国には、万物は木・火・土・金・水の5つから成り立っていると考える陰陽五行説という思想があります。
吹き流しの5色は、
に対応したもので、世の中のすべて、森羅万象(しんらばんしょう)を象徴しています。
5色が揃った状態は、とても安定するため厄災が入り込む隙が無いと考えられていました。
端午の節句が本来は厄災を祓う行事だったことを考えると、実が吹き流しこそが重要な存在だということが分かりますね。
竿のてっぺん回転球と矢車にも意味があります!
鯉のぼりから始まって吹き流し、回転球・矢車と下から上に遡っている感じですが(笑)、竿のてっぺんにある回転球と矢車も単なる飾りではありません。
- 回転球 ⇒ 神様を呼ぶための目印
- 矢車 ⇒ 「カタカタ」と回る音で男の子がいることを神様に知らせる
いずれも吹き流しと同じく神様をお呼びする依り代の意味があったのです。
鯉のぼりや吹き流しなど、それぞれの意味が分かったところで、続いて鯉のぼりが飾られるようになった由来についてお伝えしていきますね。
鯉のぼりが端午の節句に飾られるようになった由来!
鯉のぼりが端午の節句に飾られるようになったのは江戸時代中期になってからです。
端午の節句は、もともとは厄災除けの行事でしたが、厄災除けに使われていた
菖蒲の葉が
- 刀に似ていること
- 武を重んじるという意味の尚武(しょうぶ)に通じること
から、鎌倉時代から男子の節句として祝われるようになりました。
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端午の節句とは?意味はシンプルなのに由来は2つあるって本当?!
男の子の健やかな成長を願う端午の節句。 ゴールディンウィークのこどもの日でもあります。 こどもの日は意味も分かりやすいですが、端午の節句という言葉からは男の子の成長を願う行事は結びつけるのが難しいです ...
江戸時代には、五節句として幕府の公式行事となり、男の子の節句に定められます。
と同時に将軍家はじめとした武家では、端午の節句が祝われるようになります。
屋敷内に鎧兜を飾り、門前に
- 旗指物(家紋のついた旗)
- 五色の吹き流し
- 幟(のぼり)
が立てられるようになりました。
旗指物・吹き流し・幟は、いずれも戦の場で敵味方を見分けたり、風の流れを読んだり、戦勝祈願の縁起を担いで飾られていたもの。
戦がなくなった江戸時代といえども、武士にとっては大事なものばかりですね。
ただ戦がないのは事実なので、節句に飾られる幟には男子の健やかな成長を願って、美しい武者や鯉の滝登りが描かれるようになりました。
また泰平が長く続いた江戸時代は、平和な時代を反映して色々な庶民文化が花開いた時代です。
端午の節句に武家屋敷の前に飾られる幟(のぼり)を庶民たちも真似するようになっていきました。
そうこうするうちに江戸の商人によって考え出されたのが、鯉の図をあしらった吹き流し、つまり鯉のぼりです。
鯉が出世や潔さの象徴として人気もあったのだと思いますが、それよりも立体の吹き流しに図案化しやすかったというのが大きかったのかもしれませんね!
鯉のぼりも時代とともに家族形態に!
鯉のぼりの童謡には、お父さん(真鯉)とお母さん(緋鯉)が登場しますが、江戸時代に鯉のぼりが誕生した当初は、黒い真鯉だけでした。
緋鯉が登場したのは明治時代になって以降。
そして、青色の子鯉が登場したのは昭和と、意外にも最近(でもないか)のことでした。
鯉のぼりが誕生した当初に真鯉だけだったというのは、立派な一人前の鯉に成長するようという願いからかもしれませんし、家長こそ絶対という価値観・家族観の表れだったのかもしれません。
いずれにしても、男の子の成長を願う節句に子鯉があって当然と思うのは現代人の価値観なのでしょう。
そして、家族観はさらに変化を見せ、地域によっては、男の子だけではなく女の子の子鯉も一緒に飾るご家庭も出てくるようになりました。
昭和の時代、子鯉は青色のみでしたが、そうした変化を受けて緑・オレンジ・ピンク・紫と子鯉の色も増えてきています。
まとめ
男の子の健やかな成長を願う端午の節句に飾る鯉のぼりには、主役の鯉のぼりはもちろん、吹き流しや矢車にも、それぞれ意味や役割があります。
- 鯉のぼりには、将来の立身出世と、潔く勇ましい子に育ってほしいという願い
- 吹き流しには、子どもを厄災から守る神様をお呼びするための目印
- 矢車には、カタカタという音で男の子がいることを神様に知らせる役割
- 回転球には、神様を呼ぶための目印
さらに、吹き流しの5色は陰陽五行説に基づくもので、
と世の中の全てが揃った安定した状態、つまり厄災が入り込む隙が無いことを意味しています。
こうした我が子の幸せを願う鯉のぼりが端午の節句に飾られる世になったのは江戸時代の中期以降です。
江戸時代、端午の節句は五節句として幕府の公式行事になり、男の子の節句に定められます。
端午の節句には、将軍家をはじめとした武家の家では門前に
- 旗指物(家紋のついた旗)
- 五色の吹き流し
- 幟(のぼり)
を立てて、男子の健やかな成長を祝うようになります。
やがて、庶民が端午の節句の武家の飾りを真似するようになり、江戸の商人が鯉の図をあしらった吹き流しを考案したのが鯉のぼりの始まりです。
江戸時代の当初は、黒い真鯉だけだった鯉のぼりは、明治時代に緋鯉、昭和に子鯉が加わり家族の形態で飾られるようになります。
そして、現在ではオレンジやピンク色の女の子の子鯉も飾る地域もあるなど、家族観や価値観とともに変化し続けています。