先日、とある人が「なおざり」と使われていたのですが、お恥ずかしながら、わたくし、“いや、「おざなり」と間違えてはるわ!”と思ったのです。
でも、そんな間違いを犯すような人ではなく、“ひょっとして「なおざり」が正しいん?”と調べてみて、「なおざり」という言葉があることを半世紀近く生きてきて初めて知りました(恥)。
平仮名で書くと、同じ4つの字の並びが違うだけでとても似た「おざなり」と「なおざり」。意味も似ているのか気になりますよね。
「なおざり」を知った私も気になって調べてみたら、案の定、似たような意味だったのですが、捨て置けない違いがありました。
私的には、その違いは、結果や人生において大きな差を生むような気がします(大げさ?)。
ということで、本日は、2つの言葉の意味と語源を中心にお伝えしていきますね。なぜ、結果で大きな差が生まれると感じたのかも途中で触れたいと思います。
まずは意味と使い方の違いから
言葉とくれば、まずは意味を辞書できちんと確認しましょう!
“いい加減”という意味は共通している
つい先日、10年ぶりに広辞苑第七版が出版されて何かと話題になりましたね。早速、第七版からと言いたいところですが、私が中学時代から使っている広辞苑第二版(年代物!)で「おざなり」と「なおざり」を引いてきました(笑)。
おざなり【御座なり】
当座をつくろうこと。その場逃れにいいかげんに物事をすること。なおざり【等閑】
- あまり注意を払わないさま。かりそめ。おろそか。ゆるがせ。
- あっさりしていること
広辞苑第二版補訂版から引用
この2つの言葉に共通していることは『いい加減』ということですね。ですが、同じ『いい加減』でも行動量に置き換えると大きな違いが出てきます。
「おざなり」は、いい加減でもとりあえず何らかのアクションをとっているので、行動量はゼロではありません。
一方の「なおざり」。こちらは、物事をいい加減におろそかに扱って放置する様子です。つまり未着手。行動量ゼロ。
この違いを踏まえて使い方を見てみましょう!
使い方で気をつけること
早速、次の例文をご覧ください。
- 厄介な問題だったので回答を「おざなり」にした
- 厄介な問題だったので回答を「なおざり」にした
⇒ちゃんと考えずに、その場逃れの回答をしたということですね。
⇒考えることもやめて、回答を放置したということですね。
では、これを次のように言い換えてみます。
- 「おざなり」な回答をした
- 「なおざり」な回答をした
”「おざなり」な回答”は、いい加減な回答をしたとことですので成立しますが、”「なおざり」な回答”という表現は回答と言うアクションが無いので成立しません!
「なおざり」は、何もしないいい加減さを表わすので、「なおざりな○○をする」という表現にはそぐわないわけですね。
もう一つ例を見てみましょう。
- 議論をおざなりにする
- 議論をなおざりにする
“議論をおざなりにする”は、その場しのぎであっても何らかの議論はされたということですが、“議論をなおざりにする”は、何の議論もせずに問題を先送りにしたということになります。
両方とも望ましい合意には至らないかもしれませんが、先送りには誠意すら感じられませんよね。
この「おざなり」と「なおざり」では、行動があるか無いかに違いがあるということは、語源からも確かめることが可能です。
語源からも分かる行動量の差
言葉としては、「なおざり」は平安時代には誕生していましたが、「おざなり」が比較的新しく江戸時代の後期に誕生しました。
「おざなり」の語源は江戸のお座敷遊び
おざなりは、漢字では「御座なり」と書きますが、使われだしたのは19世紀の初め頃。江戸時代の後期にあたります。
「御座なり」の“座”は、芸者を呼ぶお座敷遊びのことです。
元は、当時、芸を披露する芸者や幇間(ほうかん、たいこ)が、お座敷のお客さんによって手抜きをしたり、扱いを変えたりすることを指す隠語でした。
「座成り(ざなり)」「座敷成り(ざしきなり)」と言っていたものに、皮肉をこめて「御(お)」がついたというかなり意地の悪い言葉ですね。
先ほどの行動量に話を戻すと、芸の出来栄えはさておき芸は見せるし、愛想はともかく接客はするということですので、“行動している”わけですね。
「なおざり」は平安時代に生まれた言葉
「なおざり」は、平安時代(10世紀)には、すでに使われていました。
今は、漢字で「等閑」と書きますが、なおざりの“なお”は、元々は『なほ(猶・尚)』から来ています。『猶』は、猶予期間といった熟語に使いますが、ここでは、“そのまま何もしない”という意味になります。
後ろ部分の“ざり”は、2つの説があります。
辞書で、「なお」を引いてみると、「なおあり」という言葉があり、“そのまま何もしないでいる”という説明がついていました。
これを強調した“なおぞあり”が、「なおざり」に変化したというのが最初の説ですね。
次の“去り”は、遠ざけるという意味があり、“なお去り”は、“何もしないで距離をおく”となります。
どちらの説も「なおざり」は“何もしない”。つまり放置です。行動量はゼロですよね。
結果は行動から生まれる!
ゼロには、どんな大きな数字をかけてもゼロという答えしか出ない。これは、とても大切な原則ではないでしょうか?
もちろん、行動には質が伴っていることが理想です。時には、そんないい加減な行動ならやらない方がまし!と言いたくなることもあります。掛け算で例えると、他の要素がすべてプラスでも行動がマイナスだと結果がマイナスというやつですね(笑)。
でも、試験も白紙の答案には点はつきません。車もエンジンをかける時が一番ガソリンを使います。ゼロかゼロじゃないかには、それだけ大きな違いがあると思います。
まとめ
「おざなり」と「なおざり」は、物事に対して“いい加減”であるという意味は共通していますが、行動をとるかとらないかという点で大きな違いがあります。
- 「おざなり」は、その場しのぎのいい加減な行動をする
- 「なおざり」は、そのまま何もしないで放置する
「おざなり」は、比較的新しい言葉で、江戸時代後期のお座敷遊びから生まれました。
お座敷で接客する芸者たちが、お客によって手抜きをしたり適当に扱ったりしたという隠語です。
「なおざり」は、平安時代にはすでに使われていて、
- “なほ(猶)+ぞ+あり”⇒そのまま何もしないでいる
- “なほ(猶)+去り”⇒何もしないで遠ざかる・距離を置く
という2つの語源節がありますが、“何もせずに放置する”ことを指します。
「おざなり」も「なおざり」も誉められたことではありませんが、どんな試験でも白紙の答案が点をもらえないことだけは確かですよね。